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日常の喜怒哀楽を写真付きで綴るエッセイ

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成人式の式典|その前にルールを決めよう!

今日は1月15日。

いつから成人の日が変わってしまったのだろうか。

ふと気がついたら1月15日じゃなくなってた...という感じだ。

変更された成人の日は横に置いといて、これまで成人式の式典(一般通例)は、成人式を迎えた若者、行政関係者らが行ってきたのだが、近年では警察官までもが普通に式典へ参加する、市民、行政、司法の三位一体型になってきた。← もろ皮肉ってます。

暴れる馬鹿がいるから警察官が居る!! と言ってしまえば話はそれまでなんだが、奴らが暴れるのは幼稚なまま成人式を迎えたという理屈ではなく、また目立ちたいからという理屈でもなく、単にそのようなことが出来るのは1から10まで世の中を舐めているからで、式を妨害し中断させても大して処罰されないことを最初から踏んでいるからなのである。

その根拠をいうなら、暴れる奴らが大日本帝国時代にタイムスリップして成人式を迎えたら、幼かろうが、目立ちたかろうが、100人や200人の集団であろうが、同じことは絶対にできないからだ。

[マメ知識] 今日の形態の成人式は、第二次世界大戦の敗戦間もない1946年(昭和21年)11月22日、埼玉県北足立郡蕨町(現:蕨市)において実施された「青年祭」がルーツとなっている。wikipediaより

暴れる新成人

では、この時代どうしたらいいのか。

私の案がもし可能なら話は簡単だ。

先ず、警察官が妨害した奴を直ぐに取り押さえるまでは良いのだが、次に「式場から強制排除させる」からいけない。

私が考えるには、警察官、もしくは民間ガードマンが取り押さえた上で、実行委員が幾つかの質問を行い、数分後にそいつの反省具合で警察に嘆願書を提出するかどうかの採択を新成人の全員で(多数決の挙手をとる)というルールを最初に決めておけばよいのである。

つまり、反省しない奴は重罰にして欲しいという嘆願書になるって訳だ。

暴れた奴は意地でも反省せずに悪態つくだろうが、それはそれで全く構わない。

反省するか反省しないか、そのどちらにしても、この時代、その様子は誰かがネットに流すことになるので、翌年に新成人を迎える者がこの映像を観て「こんな不名誉は嫌だ。武勇伝にもならない辱めは受けたくない」と思わせれば、暴れる奴は(式場だけには)もう入ってこなくなる。

何より、一生に一度の大切な式典を邪魔され、悔しくて嫌な思いをした新成人の皆さんも少しはスッキリできるのではないかと私は思う。

最後に、このルールが妙案だとは決して言わないが、行政も司法も対策だけして、これといって何1つ妙案もなく年々酷くなっていくようならば、社会の構図と民主主義を教えてあげる意味も含めて式典にこのようなルールを作ってみては? ってな感じで新成人の実行委員にアドバイスするのも良いと私は考える。

実行委員がルールを決めれば行政も司法もそれに従えばよい。

言うまでもなく、成人式は新成人のものである。

2017年1月15日 記録

喜怒哀楽は、作者たつの考えを自己中心的に書き綴るものである。

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