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日常の喜怒哀楽を写真付きで綴るエッセイ

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夜逃げ屋さんです

私はあまり言えたものではないが、15年前(22歳の頃)”夜逃げ屋”と言われる商売もしたていた。

別に夜逃げ屋がしたかった訳ではないが、借金取りや探偵なようなことをやっいて、地元にいろんな交友関係があったし、バブルがはじけて借金苦の人が多くなってきていたから、いずれは夜逃げの依頼もあるだろうな~ってな感じで過ごしていた。

そしたら、案の定どこで聞いたか知らんが夏の暑い日に一本の電話があった。

50歳代の男性らしきオジサン声でいきなりこうだ。

「あの~お尋ねしますが、夜逃げをやっていただけますでしょうか?」

なんだこのオヤジは。

そんな無茶なお尋ねは普通遠回しに聞くもんだろ....

私は「誰から聞いたとですか?」と尋ねたがオジサンはノーコメントだった。

まぁ、当時の私は元々怪しいことが好きだったから話しだけでも面白そうじゃんってな具合で「やらないことはない」と返事すると「それは助かります、是非ともお願いします」ってなことになり、2日後の待ち合わせに大橋駅前のサンデーサンへと行った。

私が行くと、仕立てて作りましたな?と思われる立派なスーツ姿で、どこから見ても会社社長か重役としか見えないオジサン。

いや、オジサマ風の雰囲気に私はビビッタ。

何故なら夜逃げしたいって言うんだから、私のイメージでは商店街のオヤジ風か、髪の毛クシャクシャになったサラリーマン風かで、疲れ果てたオヤジがくるのかと思っていたからだ。

まったく夜逃げするイメージとちゃう人やんけ!(まあいいや...)

私はというと、毎度大学生風の服装で、仕事は「コンビニの店員で~す」ってな雰囲気だけど、オジさんはそんな私と目が合った瞬間、席を立ち頭を下げ「宜しくお願いします」と先に深く挨拶し、名刺を出されコーヒーを飲みながら話を聞いていくことになった。(以下このオジサマは木下さんと仮名)

この木下さんの話を簡単に説明すると、会社を経営していて事業に失敗。

借金していて自宅や実家にも帰れず車の中で生活はじめて1カ月。

所持金も底をつきてきたが、もう誰からもお金を借りられず途方に暮れている。

家には金目の物があるけれど多分借金取りが待ち構えているだろうし恐くて近寄れない。

女房子供は実家に帰っていってしまったし私の人生むちゃくちゃだ....etc。

そもそも、うちは大企業とも取り引きあって年商うん億円で資本金幾らで従業員もうん人でバブルの頃は中洲で毎日遅くまで....と1時間程熱く語った。

(本当はかなり深刻な話なんだけどね)

最初のうちは丁寧な言葉で気の弱そうに喋っていたが、以前社長をしていただけあって話していくうちに、自慢したり偉そうになり言葉が命令形になっていく木下さん。

(気持ちはわからんでもないがな)

そしてこう言う「あのだな、やってもらいたいのは夜逃げではなく、借金取りに見つからないように私の代わりに深夜こっそり家にあるモノを持ち出して来て欲しだけだ。それをお宅にお願いできるだろうか」とのことだ。

最初は同情しながら聞いてたけど次第に偉そうになっていく木下さん....

なんじゃかんじゃ言っても、アンタやっぱ夜逃げするっちゃやろうもん!

とツッコミの言葉が喉まで上がってきたがグッと我慢。

ここで重要なのは、木下さんが指示している自宅ってのが、本当の家主かどうかってことだ。

別人の家なら、私は「泥棒」になってしまい犯罪者になってしまうからだ!

初の夜逃げ依頼だけれど、そこはきっちり法的に抑える書類を用意してきていた。(あまり人に言えたものではないが、当時いろいろあって22歳で顧問弁護士をつけていた)

その書類に拇印してもらい、ギャラはあまり覚えていないが、私の場合口の聞き方で値段がかわるゆえ、前金15万、成功してあと15万円にしてあげた。

部屋の見取り図を細かく作成し、何を運ぶか優先順位を決めていく。

その作業に3時間程要した。結局サンデーサンに4時間以上居た.....

尻がいてぇ~

(詳しく書けんのでここらで中略)

そして夜逃げ実行の日、私はボロの軽トラを用意し深夜0時頃に博多区雑飼隈へと向かった。

現場はマンションの7階、鍵を開けると玄関がデカイ。懐中電灯をつけ中へ入ると、リビングがもの凄く広く壁紙じゃなくて、マホガニーのニスが塗ってある板の壁だった。

さすが社長さん宅だ。

よしよし、では見取り図どおりに物色していくか....

ここの棚の2番目を開けてぇ~腕時計。

さらにこの絵を外してぇ~ってな感じで優先順位の高い物(高価なもの)を次々黒色のビニールのゴミ袋に入れていく。

やってることは、もろ泥棒だ! (=^_^=)

そしてこのゴミ袋が10袋位になったところで全商品が揃った。(所用時間は10分以内)

よっしゃ、後は持ち出すだけで任務完了だ!

突然だがここで解説:

現在もそうだが、福岡市は日本で唯一、夜にゴミを出す仕組みになっているので、深夜にゴミ袋を持っていても誰も不思議がらないし、当時のゴミ袋は黒色を使っても良かった。そして作業日は不燃物の日に合わせていたのだった。

私は10袋のゴミ袋をエレベーターに乗せて降りていく。

そして、マンション裏にあるゴミ置き場へ2個づつ運んで行き、ポイっと投げて捨てる。

そこで待ち構えているのが、ゴミ拾い屋のオヤジ演じる50代の仲間。

私が捨てたのをゴミ置き場で物色しトラックに積んでいくのだ。

50代の仲間は、普段から誰が見てもただのゴミ屋のオヤジしかみえんやった...

そして最後の1袋を捨てたところで、急いでトンズラじゃ!

今考えても完璧なミッションだった。

200m先の所でゴミ屋と待ち合わせして、依頼人の居る4km先のコンビニ駐車場へと向かった。

コンビニへ到着すると依頼人は、普段寝泊まりしている2000ccのセダンでやって来ていた。ゴミ袋をトランクと後部座席へ詰め込んで残り15万円を手にした。

木下さんは、私に何度も「ありがとうございます」とお礼を言った。

私はプロフェッショナルよって普段は関係ない話はしない方だが、最後だからと木下さんに聞いた。

「今からどちらへ行くんですか?」

木下さん「いえ、それはわかりません.....」と一言だけ....

そして木下さんは街灯が無い方へと車を走らせ消えて行った。

私は車のテールランプが見えなくなるまで見送って、煙草に火をつけ心からこう思った。

死ぬなよおっさん。生きてりゃいいことあるさ!

私って意外と詩人なんかもな。木下さんサイナラ~

それから3カ月経過した頃だったか1本の電話があった。

相手は誰だか名乗らなかったが「お宅は雑飼の木下さんって方をご存じじゃありませんか?」と聞かれた。

ピーンと来たが「う~ん、知りませんけど」と返事したら「お宅は何の仕事をやってますか?」と....

「電気屋です」コラコラ....

すると、どうも..と言って電話が切れた。

心臓がバクバクしてしまった。恐えぇぇぇぇぇ~!

木下さんの身に何かあったようだが「知らぬが仏」である。

知らぬが仏の意味が違うが、なんとなくここにはピッタリくるのは不思議だ。

おわり。

最後に、この話で不思議に思った人もいただろう。

何故、ゴミ袋10個分しか持ち出さなかったのか?ということだ。

夜逃げでピーンとくるのが映画やテレビの「夜逃げ屋本舗」で、大半の人は夜逃げというと家具や電化製品まで運んでいたりするイメージがあると思う。

でも現実的に家具や電化製品まで運ぶってことは、その物を置く場所(移転先)があるってことで、私に言わせたらそんなもんはただの”夜の引っ越し”でしかない。

今までに木下さんのような人と何度となく出会ってきたが、夜逃げする人は、移転先で家具や家電製品を使いながら生活していくことなど考えられないのだ。

本当に身軽でなければ逃げきれない命なのだ!

しかしあれだよ。

始めて受けた夜逃げの仕事とはいえ、相場は無いし相見積りも無い。

全打ち合わせ4時間、作業10分、引き渡し3分で30万円はちいとボッタクリやったかも知れんな。

でもなぁ、返金しようにも、アフターサービスしようにも何処行ったか、生死すらわからねぇーしな。

ごめんなさい。(^。^↓↓)

 

「摩訶不思議」は、昔し昔しの話しである。

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