婚姻に”2年しばり”の「ゆる婚」があってもいい。
芸能人の離婚なんて興味のない私。
しかし、潔癖性の坂上忍さんに私も少し共通する部分があってお気に入りなもんで、昨夜録画していた「合体!ロンドンハーツ×ジュニアと田村淳のラブ婚&ダメ婚SP(2014/1/14放送)」を観ていたんだが、ダメ婚側にいた(青木さやか、井戸田潤、バッファロー吾郎A、川崎麻世、坂上忍、いしだ壱成)さんたちのエピソードが可笑しくて可笑しくてめちゃ笑っていた。
特にどの部分が面白かったの?と聞かれてもクダラナ過ぎてよく思い出せんが、そんな心にも残らないクダラナさというのは漫才やコントのようなもんで単純に可笑しいのだった。
う〜ん。これをなんと言っていいのか...
変に誤解されちゃ困るけど、私は離婚というエピソードはまだ訪れていないから離婚を経験して自虐話する上記の芸能人たちが(嫌味抜きに)羨ましかったりしたわけで、我ながらそれって変なのかなとも思ったりもしたのでした。
まぁいいか。
そういえば、数日前にYahoo!トピックスで毒舌で知られる西川史子先生が離婚したと載っていて、そんな記事は読まないから原因までは知らないけれど、近いうちにバラエティー番組で”くっだらねぇー” 話で笑わせてくれることを期待したいと思っています。
ところで、西川先生の離婚もそうだけど、第三者的な立場からみて人様が離婚したと聞くと、次ぎに気になるのが「結婚して何年目で離婚したのか?」ということではないだろうか。
政府の白書でも民間の調査でも、年齢を基準に婚姻◯年〜◯年未満とかで別けられていて、何らかで再婚しようとした場合でも、相手に対して「あなたは何年で離婚しましたか?」という質問はお互い絶対と言っていいほど口にしている。はずだ。
婚姻年数というのは、短いからどうなのか、長いからどうなのか、そこに何が起こったかで人それぞれだけど、私の思う婚姻から離婚までの年数イメージをでは...
1年目の離婚は、早い方
2年目の離婚は、一般的
3年目の離婚は、世間も許す
4年目以上の離婚は、さほど誰も気にせん
そんな感じで、一般的な離婚は婚姻2年目ぐらいだと勝手に思ってる。
まぁ、結婚というものは役所に「婚姻届を出すか出さないか」というウエイトが大きく関っており、この紙切れ1枚の契約責任があまりにも重過ぎで同棲では親や家族にメンツが経たない部分もあるし、収入だけでなくそういった精神的不安が起因して昨今の独身率が増大しているのではないだろうかと私は考えるのだった。
そこで私が1つ考えついたのは、婚姻届というものを今風に改良し、携帯電話でいうところの ”2年しばり” の婚姻を可能とする法律がでれきれば、2年の契約満了まで使いながらゆっくり考えることができ、満足であればそのまま2年の自動更新。 不満足ならMNPのようにキャリアを移動(離婚)します。となってもいいんじゃないかと思う。
勿論MNPなので電話番号にあたる名字は変わらないというメリットがあってもいい。
それじゃ2年目で離婚する人が増えるじゃないかって?
そんなことは人それぞれ。
私の知ったこっちゃーない。
いずれも1度は使ってみないとキャリア=機器の良し悪しがわからない部分があるんだから、使ってみなきゃ〜、やってみなきゃ〜わかんねぇーということを前提に、まずは2年の婚姻届けを役所に提出。国が認める公式なものであれば同棲という半端な形ではないので昔ながらの頑固な親や家族も納得でき、お互いのメンツも保てるというところだ。
まずはお試しあれ。だ!
ただ、子供が出来たらどうするのか?という問題については、現在の婚姻制度でも離婚する人は子供がいても離婚するんだから、”2年しばり”の婚姻制度にも問題なく、さらに2年自動更新すれば良いことだし、それこそ「少子化問題で子供を増やさなければいけない」と政府や自治体が焦り動いている状況であるならば、MNP制度のような”2年しばり”の婚姻が全く役に立たない愚法とまでは言えないだろう。
なぜなら、結婚しない若者を結婚させる方法や少子化対策の具体的なアイデアや解決策がないからだ。福祉とか社会情勢とか言わず今直ぐ効果の出るものがあるならば逆に教えてくれ。
まっ、日本の頭の固い役人は、私のようなアホな発想を少しだけ取り入れていただきながら、結婚や再婚、結活をする独身者らに”ゆるい婚姻(ゆる婚)”を選択させてあげることも、また少子化対策のヒントになればいいかなと私は思う訳でありました。
そんなこんなでロンドンハーツで笑いながら、こんなことを考えていた私。
どおりで、私はハゲてしまう訳です。アホなのに残念だ... (^_^;)
最後に、そんな”ゆるい婚姻”で生まれてしまった「子供の気持を考えたのか?」とのメールが来たら嫌なので先に書いておきます.... 夫婦は紙切れの契約によって夫婦になっている訳じゃない。人と人との関係だ。親と子供も契約ではない。契約を重く感じる親に育てられれば子供も重く感じ育っていく。そもそも幸せであれば契約なんて存在しなくていいと思うし、親さえ堂々としていれば子供も理解できる。
2014年1月16日 記録
喜怒哀楽は、作者たつの考えを自己中心的に書き綴るものである。