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日常の喜怒哀楽を写真付きで綴るエッセイ

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大相撲の土俵で救命措置した女性らに注意した行司

2018年4月4日午後、舞鶴市で行われていた春巡業で多々見良三市長(67)が土俵上での挨拶中に突然倒れ、相撲協会の関係者や看護師の資格を持つ観客の女性が駆けつけ心臓マッサージ等の救命処置を行った。

その際、日本相撲協会の行司が「女性の方は土俵からただちに降りてください」「男性がお上がりください」と3回アナウンスしていたことが男女平等ではないと大問題になっている。

また米国の新聞でも日本は男女差別する遅れている国だと書かれているようだ。

土俵に上がる女性

女性が土俵に上がることが禁じられていても、人命より伝統や”しきたり”を重んじたことは確かにいただけない。

しかし、これが本当に大問題なのか? と私は疑問に感じてしまう。

世界には人それぞれの世界観や価値観というのがあり、あるキリスト教では輸血することを禁じ、イスラム教では女性は必ずブルカを被りモスクは女人禁制、ユダヤ教信者は髭を剃ってはいけない。など、パッと考えるだけで数多くの戒律や伝統や”しきたり”が存在している。

福岡県内だけで言っても、博多祇園山笠(神事として)は男しか祭りに参加できなければ、世界遺産である福岡県宗像市の沖ノ島への上陸は(神事として)で女人禁制だという厳格な決まり事があったりする。

何が言いたいかというと、宗教=神事というのは大小関わらず様々な戒律があって、それを伝承していくからこそ成り立っているということだ。

それらに照らし合わせると、今回の件はどうなのか。

人命が掛かっていたとしても、力士らと共に様々な儀式を行う(神事を司どる)行司は「女性の方は土俵からただちに降りてください」とお役目柄、お願いしているだけで、女性を強制的に土俵から引きずり下ろしたり、降りろと強く命令していた訳もなく、敢えてそれを言わなければいけないのが行司の仕事(伝承)だと言えるのではないだろうか。

そこに男女平等ではないと騒ぎ立てるのは、とあるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の司祭に、男性と女性が不平等で、人命をも軽視するような戒律や伝統や”しきたり”は間違ってると説教しているようなものだ。

もっとも、大相撲協会は宗教法人ではなく公益法人だと指摘しながら突っ込めば、大相撲は神事を被った興行で収益を上げ、暴行やイジメ、さらには男女差別までする最低な団体だと言える。

結局、マスコミは大相撲協会を責めたいだけではないのか。

役人の不祥事を政府が責任とれという構図とも類似している。

この件は、ちょっとした

行司差し違えで済ませてようじゃないか。

行司よりも大相撲協会の伝統や体質が悪いと言って、1つの差し違えを寄ってたかって騒ぎ立てると、行司を「切腹」に追い込み、お前らも人命を軽視してしまうんだぞ!!

自殺しろと言ってるのか?

行司が持っている刀の意味と、その特殊な中で生きている者の世界観を知れ。

死んじゃいかんぞ 行司!!

余談:以前、知人の医療関係者が言っていことを急に思い出した。

出血多量で意識がなく救急搬送されてきた患者家族が「輸血をしてはいけない」と輸血を拒否し続けた結果、患者は亡くなったと...

悲しい出来事で一般人に当てはめれば拒否したことは不適切で残酷だが、家族の生命が危険な状態にあっても、それが伝統であり教えであり世界観である。家族はただ神の御前にて役目を果たしただけで決して人命を軽視したりなどしていない。

その世界を理解せず非難することはあまりにも容易い。と私は思う。

2018年4月7日 記録

喜怒哀楽は、作者たつの考えを自己中心的に書き綴るものである。

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