「達の記録館」サブの表紙

日常の喜怒哀楽を写真付きで綴るエッセイ

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愛猫の死でペットロスになった最後で最高のダンス

私は『(溺愛し過ぎて)ペットロス症候群になるかも』といいながら、これまで悲しみを怒りに変え生きてきたことで「そうはならんぜ」と自信を持っていました。しかし、愛猫からお礼をされたことでペットロスになってしまいました。

お前は私に何てことをして逝くんだ。

ガオが逝ってから1カ月。

徐々に薄れていく愛猫(ガオ)との悲しい別れに「薄れていっても良いんだ」と理屈では分っていても、一方では「薄れちゃいけない」と何度も何度も悲しみをリピートし続けている情けない自分がいました。

記憶が薄れてもいいんだと思えるようガオとの大切な想い出を書き綴ることで、一区切りをつけたいと思います。

ダンスのように抱き寄せたい

作詞/作曲:松任谷由実

心に耳をあてて

途切れそうな声を じっときいてるの

あなたがどこにいても

戻れる場所は ここにあるよと

ああ 口にはしなくても きっとわかるから

ダンスのように もう踊れない

錆びたぜんまい 止まってゆくけれども

やさしいうでを 離さない

ずっと踊るの このまま

小雨のスクリーンには

いくつもの笑顔 重なってぼやける

二度と帰らぬ日々よ

見送ることしか できない列車よ

ああ 傘もささず探す 誰もいないホーム

ダンスのように 抱き寄せたい

どんなに疲れ みじめに見えてもいい

あなたとなら それでいい

ずっと踊るの このまま

風の影が過ぎる 窓の中に浮かぶ

失くさないで 失くさないで 大切なもの

ダンスのように もう踊れない

誰もがいつか 気づいてしまうけれども

あなたとなら それでいい

あなたに会えてよかった

ダンスのように 抱き寄せたい

どんなに時が 移り変わっていっても

やさしいうでを 離さない

ずっと踊ろう あなたと

BGMが上手く聴けない方はこちら別ページ

ページ内:もくじ

  1. ガオを発見
  2. 子猫が2匹やってくる
  3. 里親探しを始める
  4. 今日からウチの家族だ
  5. お引っ越し
  6. 大規模修繕
  7. 2015年 お正月
  8. 様子がおかしくなった
  9. 飲まず喰わずになってしまう
  10. もうダメだ。覚悟しないと...
  11. ガオの最後
  12. 亡くなった直後
  13. ガオからのお礼
  14. 最後で最高のダンス
  15. ガオ君へ(お手紙)

猫2匹を発見

1993年5月のゴールデンウィーク始め、第一興商福岡支店(博多区山王)の倉庫裏に生後2週間ぐらいの子猫2匹がダンボール箱で捨てられているのを相方と発見しました。

発見時、ハチワレの白黒(モウ)はダンボールの周囲を飛び跳ねながら遊んでいましたが、モウよりもまだまだ小さかった虎猫(ガオ)は箱の中で震えながら「食べ物も水もありません。助けてください」と言わんばかりに精一杯の声でニャーと叫び大きく目を広げて私に訴えてきました。

猫嫌いな俺なんかに頼ってくるんじゃねえーよと思いましたが、メシが喰えないのは可哀想なので近くのコンビニでミルクを買ってきました。元気なモウはミルクをガブガブ飲み始めましたが、小さかったガオは衰弱していてストローでミルクを与えることでやっと飲んでいました。とても嬉しそうにニャーと言っていました。

ガオはとても嬉しそうにニャー「ありがとう。もう行ってもいいよ」と私に言っているようだったので「それじゃお前ら元気で生きていけよ。心優しい人に拾われることを祈っとくぜ。じゃぁーな」と言い残しダンボールを軽く閉じました。

ガオは閉じた箱の中で何度も何度もお礼?のニャーを言い続けていました。

これぞ一日一善ってやつだな。

よいことをしたな。と思いながら離れていく私でしたが、ガオの小さな声が頭から離れず、直ぐに戻ってダンボールを開けました。

ダンボールを開けた途端。

ガオはさっきよりもさらに大きな声で嬉しそうにニャニャーニャニャーと叫び「戻ってきてくれたの。僕を連れて行って」とウルウルした目で私を見つめました。

な・な・なんだコイツ? おまえ俺を頼っているのか?

そんな目をしたって俺が育てる責任はどこにもないとぜ。

おい子猫。それがお前の運命ってもんやん。

知らん。

だけど...このままほおっておいて誰からも拾われなかったら多分死ぬだろうなと思った私は相方に「大きな方(白黒)はここに置いて行くけど、小さい方(虎猫)は元気になるまで持って帰ってもいいか?」と相談しました。

すると相方は「兄弟やろうが。何でアンタが引き離すとよ」と怒り、「2匹とも引き取って里親を探すのがアンタのやることやん」と諭されました。

えぇぇぇーーーーー 俺が里親を探すのか? 面倒くせぇー

私はしばらく考えました。

でも、このまま立ち去ったら「あの子猫はどうなったのかな」と思い続けることになりそうなので、自分に2つの条件を架しました。

 条件1:元気になるまで

 条件2:里親が見つかるまで

それを決めて2匹とも(一時的に)家に持って帰ることに。

ガオの年表

拡大

老猫のガオ年表

子猫が2匹やってくる

家に連れて帰り2匹にミルクを与えても、小さく弱々しい虎猫(ガオ)はちょっと飲むだけの日が続き、もうダメかも知れんと思いました。

そんな時、白黒猫用に買ってきた缶詰のキャットフードを開けてやると、予想に反してこともあろうか白黒猫を追いやって虎猫の方がムシャムシャ喰いやがるのです。

なんじゃコイツ! 詐病か!

と思いましたが、死にものぐるいで食べてる姿がとても嬉しくてしょうがなく、ウニャニュワニャムニャムと声を出しながらお腹がパンパンになるまで食べるんです。

あぁ... なんて愛おしんだろうか。

こんな感情が生まれたのは始めての経験だわ。やっべぇー

里親探しを始める

ウチに来て約1週間後。地元では有名な「猫の森」に里親探しを依頼してきました。

猫の森のオーナーさんは「急には探せないのでとりあえず2週間ほど預かっておいて」と言うので仕方なく育て始めました。

その2週間。私が座ると膝の上に直ぐに乗って来る。ちょっと触ると喉をゴロゴロ鳴らしながらスリスリする。ヒモを引っ張ってやれば追いかけ回して一緒に遊ぶ。

私が横になれば寄りかかってぐっすりと寝る。めちゃめちゃ可愛いとです。

ダンボールにいた時の不安な感じはまるでなく、とても安心しきっている様子でした。

そんな日が2週間ほど続いたとき『お前ら、ウチの子になるか???』と聞いたら、2匹とも、ニャー、ニャーと嬉しそうに返事するので、翌日、猫の森に里親探しのキャンセルしに行きました。

猫の森のオーナーは「そう言うと思っていましたよ」といい「実は里親探しはしていませんでした」ってことも言われました。

おいおい。この猫バカ女!

おまえ俺を騙しやがったな!

とは思いましたけど、これでウチの猫になったことが嬉しくて嬉しくて...

さっさと家に帰りました。

今日からウチの家族だ

「今日からウチの家族だ」と宣言してモウ・ガオと命名しました。

可愛くてたまりましぇ〜ん。(^o^)

牛田モウと虎田ガオ

遊び疲れた後は、私の邪魔にならないところで寝ます。???

どこで寝とるんだ! お前ら邪魔だ!

動けんやろうが!

猫はどこでも寝る

って非常にムカつく幸福感をもたらせてくれました。

子猫は超かわいい

モウよりも何倍も可愛いガオ君。

小さいガオは兄のモウによくイジメられ、ガオはよく悲鳴を上げていました。

この当時「どちらか1匹を選べと聞かれたら、俺は100%ガオを選ぶからな」と相方に言ったことを今も覚えています。

そんな弱いガオでしたが、ご飯の時だけはモウのご飯まで横取りするほどガツガツし食べ「お前モウのご飯まで喰うな。食い過ぎやろうが」と怒るほどでした。

お腹がパンパンになるまで食べるガオ猫

狭い部屋でしたので運動不足解消のために様々なアトラクションを作ってあげました。

険しい2mの階段を登ると、その達成感からいつも「どや顔」の表情を見せ、遊びに興奮すると勢い余ってたまに落ちてもいました。(^o^)

ガオの得意気な顔

(天井に吊り下げたアトラクションの1つ)

ウチに来て約4カ月。

アトラクションのせいか?高所に慣れたしまったガオはベランダの手摺りを歩くのが大の得意でした。危ないからって手を伸ばして抱えようものなら逆に落ちそうなので、ひぇぇぇーと言うのが精一杯でした。落ちたら即死です。

かぎ尻尾のガオ

かぎ尻尾のガオ君

それから、あっという間に成猫になってしまいました。(笑)

猫の成長がこんなに早いものだとは思いもせず、(1993年当時はデジカメがなかったのもありますけど)全然写真を撮っていません。

9カ月後には、あの弱々しいガオはどこに行ったのかと思うばかり...

なにか呼びました?

メシの時だけ呼んでくださいと言わんばかり。

ガオのこの態度

ガオはこんな奴になってしまいました。(^_^;)

お引っ越し

猫の成長とともに手狭になった賃貸住宅から、こいつらがらダダダダダ...と思いっきり走れるマンションを購入。

玄関ドアとトイレのドア以外は全て取っぱらい、間仕切りも壊し、ガラスにも猫穴を空けベランダへ自由に出入りできるようにしました。賃貸住宅ではできなかった豪華なアトラクションも作り猫たちも快適に暮らし始めました。

管理規約で「ペット禁止」のマンションでしたので、管理組合とゴタゴタしましたが翌々年から組合の理事となり、副理事長を経て最終的に「ペット飼育可能」へと規約を改正する運びになりました。

それから約20年・・・

大規模修繕工事

2014年8月よりマンションの大規模修繕工事が行われることになりました。

建物全体に足場を組んだことでベランダへは出れなくなり、建物塗装、給排水工事、防水工事、光ファイバー等の通信線工事など、騒音や振動から次々に入ってくる工事人など、家猫にとって多大なストレスが掛かりました。

工事開始からガオ君は窓ガラス付近でオシッコするなど今まで1度もしたことがない奇妙な行動をとるようになりました。(約5カ月にもおよぶ大規模修繕工事は年末ギリギリまで続きました)

2015年 お正月

やっと工事が終わり静かになったところで少し食欲も出て来たガオでしたがヨロヨロしながら歩くようになり、食べても食べても体重が減っていくばかりでした。

もう21歳だから足腰も内蔵も弱くなったのは仕方ない。

でも年を越せてよかったねといいながら過ごしていました。

ヨシヨシが好き

ガオの様子がおかしくなった

2015年1月31日(土)

義実家へ1泊2日で家を留守にして戻ってくるとガオは何とも言えない行動をとるようになっていました。

普段からいらんことする私にあまり寄ってこなかったガオが、触って、触ってと寄ってきますし、自分を見てくれと言わんばかりにアイコンタクトを頻繁に求めてきました。

そんなことが1週間続きました。

飲まず喰わずになってしまう

2015年2月7日(土)

突然、寝たきりになりガオは飲まず喰わずになってしました。

この日からスポイドで水を飲ませることしかできず、動かないので手足のリハビリを(45分毎)に行い、寝返りを打たせてやったりしていました。

2時間おきぐらいに小さな声でニャーといい、手足をピクピクと動かし立ち上がりたいという意思表示をしますので、私は全身を支え自分で歩いているような感じで歩かせ(手を離すとボテッと倒れます)オシッコをさせてあげました。

弟を心配するモウ

弟を心配するモウ

もうダメだ。覚悟しないと...

2015年2月8日(日)

もうニャーと鳴く元気もななりスポイドで水を飲ませることもできなくなりました。

目はちゃんと見えていて私のちょっとした動きに反応しますし、耳もしかっかり聴こえていて「ガオ」「ガオ」と呼ぶと瞳と耳が少し動き指先がピクピクっと返してくれます。

それから、何回、何十回したことでしょうか。

ガオの意志表示に答え、ガオを支えながらベランダや家の中を見せ回っては、耳元で「大丈夫やけんね」と言ってあげることが精一杯です。

45分毎の寝返りや手足のリパビリを、25分毎にしてガオの看病にあたり私は徐々に覚悟を決めはじめました。

抱かれたまま寝ているガオ

私自身、いま寝たかと思えばアラームで起こされ頭がボーっとなっている状態でヘトヘトです。もう2日前から仕事はほったらかし。それどころじゃないです。

ガオの最後

2015年2月9日(月) 午後4時25分

25分毎のアラームでガオに近寄ると、指先をピクピクっと動かすのでまた一緒に歩きまわり、ほとんど出ないオシッコさせました。

「お前、飲まず喰わずでよく出るな。ははははは...」と笑いながら声を掛け、手足のリハビリをしてあげてると、渇ききっているガオの目が少しウルウルしました。

これがガオの精一杯の意志表現なんだと思うと、私も涙が出ていました。

ガオ君の最後の写真

「よし。よし。それじゃしばらく一緒に居ようね」とガオの横で頭を撫で撫でしていたら呼吸が苦しくなり一息ごとに「ウゥーウゥー」と唸り始めました。

私はガオの左右の手を取り、ゆっくりした口調で...

「お前は21歳になるまでよく頑張って生きてきたよな」

「お前ダンボールで捨てられていた時のこと覚えているか」

「お前のせいで猫嫌いが猫好きになってしまったやん」

「お前との楽しかった日々は忘れんけんね」

「お前は俺の自慢の猫や」

「ウチの子になってくれてありがとよ」

「もう頑張らんでいいけんね」

「楽になっていいとぞ」

「大丈夫。怖くないよ」

「俺がついててやる」

と言うと、ガオは両手両足をおもいっきり延ばし(背伸びをしながら)、私の目を見つめて小さな声で『ニャン』と言いました。

「おぉー お前まだ背伸びやらしきるったい」

「すごいなガオ」

あれ?

どうした?

ガオ?

ガオ?

ガオは私に肉球を握らせたまま息を引き取りました。

2015年2月9日(月)午後4時45分 享年 21歳9カ月

とても安らかな最後でした。

手作りの首輪

MEMO記録:2014年8月25日 猫の首輪を作る別ページ

亡くなった直後

ダンボールに捨てられ、ダンボールで散々遊んできたコイツはダンボールに返してやるのが一番良いと思い、部屋の中にあったダンボールに亡がらを入れました。

そしたら、覚悟していたはずなのに涙が溢れでてきて止まらないのです。

私はガオの亡がらを見ながら『おまえ俺を泣かせやがったなコノ野郎』と叫び、それから鼻水まで出てきやがって... くっそぉー くっそぉー

私は辛くて悔しくて「くっそぉー」と何度も言い続けていました。

ガオからのお礼

それから10分ほど経ったところで、外出していた相方に電話しガオが亡くなったことを話しました。

すると相方は残念そうに『帰ってくるまで間に合わなかったか』といいました。

その瞬間、言葉ではとても説明できない不思議なことが起りました。

ガオの想いが私の中にすぅーっと入ってきたからです。(えっ何この現象)

ガオは逝く直前までこう思っていたんです。

『僕が死ぬ時にお母さんがいたら泣けないだろうから、帰って来るまでにご主人様をおもいっきり泣かせてやるんだぁー これは僕からのお礼だよ。』って...

間に合わなかったんじゃなくて、ガオは間に合わせていたのです。

「それがお前のお礼か」

「なんて野郎だ」

「・・・・・・」

「わかったよ。ガオ」

「それじゃ、お前の希望を叶えてやる」

「くっそーは抜きだ」

「ちゃんと悲しんでやるからな」

と語りかけ、ガオの想いを受け止めながら(相方が自宅に帰ってくるまでの30分間)おもいっきり泣いてやりました。

これで満足したか? ガオ。

いまになって考えますと、ガオは「悲しみに涙する」という大切な感情をどうしても私に教えたかったのでしょう。

最後で最高のダンス

ガオがおもいっきり背伸びをしたのは「身体のリハビリをずっとしてくれてありがとう。お陰で僕はこんなに力強く体を動かすことができたんだ。凄いだろー」って、私に見せてくれたのだと思います。

最後の言葉、ニャンは「最高だー」と言っていました。きっと。

ガオの手を握ったまま時が止まり、楽しい想い出ばかりが浮かんでいました。

ガオ。ありがとう。

命尽きるガオと踊った『最後で最高のダンス』でした。

お前が大好きだったよ。

またいつの日か会おうね。

ガオ:僕は高いところから見守っているよ

ガオ君へ(お手紙)

ガオ。21年9カ月って人間の年齢で103歳にもなるとよ。

お前は立派に大往生したとぞ。わかっとるか?

お前は兄のモウと比べたら頭は悪いし我がままだし、不味いメシは全く喰わんし、寝ている私の瞳に冷たい鼻を付けたり、顔に尻尾を垂らしては耳元で突然「ンギャー」と大声で鳴いたり、死ぬ3日前まで睡眠妨害させられて本当に苦労させらたよ。

でも、今、お前に起こされないことが寂しくて寂しくてしかたないけどな。

そういえば、お前ダンボールで捨てられていた時のこと覚えてないだろう?

あの時、弱々しいお前がいなかったら2匹ともウチの子になることは絶対になかったんよ。だからお前はモウの命も助けたって兄より偉そうにしていいとぜ。

ただな。お前が逝って1カ月経ってもモウは弟がいなくなったことが理解できず家中を探し回っているんだよ。で「ガオは死んだからもう居ないんだよ」っていくら言ってもずっとニャーニャー言って、こっちはモウの健気な姿を見るのがとても辛くてペットロスからなかなか抜け出せんで困ってるんだ。

頼むよガオ。化けて出てきていいけんお兄ちゃんへちゃんと説明してくれ。

それから兄貴のことは何1つ心配せんでいいけんね。

お前の分まで可愛がってやる。

また今年か来年か再来年かは分らんけど、モウも最後はお前と同じようにちゃんと一緒に居て看取ってやるけん。まかしときいね。

めちゃめちゃ寂しいけど、ずっと悲しんでいるとお前も心配やろうけん、ここで一区切りするよ。

最後に、お前は肉好きだったよなー

2月9日の命日にはお前のお肉まで用意しとくから魂だけは戻ってこいよ。

忘れるなよガオ「肉の日」だぞ!

それじゃな。ガオ

平成27年3月9日  ご主人様(47歳)たつ

天国からガオ肉球

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天国のガオは「ご主人様は本当に面倒くさいな。肉球貸してやるから早よ掴め」と笑っていそうです。

2015年3月9日 00:05 記録

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