2016年8月5日、愛猫の牛田モウが逝ってから1カ月半が経ちました。
Webサイト「達の記録館」を開設してもうすぐ17年目になりますが、こんなに長く休んだことは過去に1度(2015年2月9日 虎田ガオとの悲しい別れから1カ月)です。
その時のことを思い返すと、モウが居て騒いでくれていたから寂しさも半減できていたんだなぁーって、いまモウの存在の大きさを感じています。
ブラジル・リオ五輪すら楽しめない日々がずっと続いていました。
音楽を聴きながらどうぞ...
水の影
作詞/作曲:松任谷由実(1980年作)
たとえ異国の白い街でも
風がのどかなとなり町でも
私はたぶん同じ旅人
遠いイマージュ 水面におとす
時は川 きのうは岸辺
人はみなゴンドラに乗り
いつか離れて
想い出に手をふるの
立ち去るときの肩のあたりに
声にならない言葉きこえた
あなたをもっと憎みたかった
残る孤独を忘れるほどに
よどみない浮世の流れ
とびこめぬ弱さ責めつつ
けれど傷つく
心を持ち続けたい
時は川 きのうは岸辺
人はみなゴンドラに乗り
いつか離れて
想い出に手をふるの
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23年前、お前に出会えて本当によかった
モウに出会った時からとても”やっかましい奴”で、3年ほど前に1回で何度吠えるのかを数えてみたら216回という凄まじさ。一度騒ぎ始めるとテレビの音声が全く聞こえないので、わざわざ録画(おっかけ再生)をしながらモウが落ち着くまで一時停止して待たなきゃいけないのが日常でした。
また宅配便や新聞の集金人が来ると走って出てきてウギャァー(俺に何の用か)とご挨拶しに行くのは良しとしても、電話で話し始めるとウギャァー(俺にも話をさせろ)。最悪なのはベランダに出てウギャー ウギャー ウギャーっと大演説が始まるのでとても往生しました。
そんなモウが居なくなり、とても静かになった日々が寂しくて寂しくて仕方ありません。
猫どもが居るのが当たり前だと思って過ごした23年間が、あんなに幸せな日々だったなんて今更ながら思い知らされています。
猫2匹を発見
愛猫の死でペットロスになった最後で最高のダンス #猫2匹を発見・・・で書いていますので時間がありましたらどうぞ。
昨年ガオが逝ってから
モウとガオは必ず寄り添って寝る仲良し兄弟で、弟思いのモウは嫌がるガオを抑えつけてでも舐めたり、喧嘩になったらわざと負けてやるお利口な猫でした。
そんなガオが昨年2月9日に天国へ行き、家の中をいくら探しても見つけられなくなったモウは寂しそうな表情で捜し回り「ガオ、ガオはどこ・・・・」と私によく聞いてきました。
言葉が通じなくてもいい。
死というものが理解できなくてもいい。
私はわかるまで何度も何度も話してきました。
「ガオは天国に行ったとよ」
「いつの日かまた会えるよ」
「わかるかモウ?」と...
しかし、外から物音がしたり風でカーテンが揺れたりすると...
21年も一緒に過ごた弟との記憶が薄れないモウでした。
モウ22歳の誕生日祝い(2015年5月5日)
モウとガオが我が家に来た5月5日を誕生日にして、毎年必ず大好物のお刺身やお肉、ケーキなどでお祝いしていました。
ところがガオが亡くなり「今まで俺はなんで誕生日の写真を撮っておかなかったのか」と後悔しました。写真の1枚もありません。生きているのが普通のことだと思っていかからです。
モウの22回目はちゃんと写真撮影しました。
ご主人様の「写真撮るけん、じっとしけ」という命令に嫌々ながらも従うモウ。
知性ある猫なので感情が顔に表れてしまいます。
視線の先にはお刺身盛り合わせがあり「ケーキより刺身がいい」と小さな声で訴えています。
モウ23歳の誕生日祝い(2016年5月5日)
1年後の2016年5月5日は長寿のお祝い もしました。
人間の年齢に換算すると110歳にもなるモウを讃えながら、ガオも21歳で表彰してあげれば良かったなとつくづく思いました。
スペシャルディナーを半分ほど食べたところで、相方から「モウ!! それぐらいにしときなさい」とお皿を取り上げられて抗議するモウ。
老体なんだから健康管理には十分気をつけてやらないとね。
モウが危ない
それから約3カ月後...
2016年7月31日(日曜日)
昨日まで元気だったモウが急に水も食事も摂らなくなりました。
2016年8月1日(月曜日)
大好きだった猫メシを何種類も開けてやりましたが見向きもしません。鰹節も駄目で水すら飲みません。
この2日飲み喰いもしていない状況で何だったら食べるかを考え、最終手段にシーチキンLフレークを与えてみることにしました。
こんな塩辛いものを猫に与えて良い訳ありません。
しかし、これがモウの最後の食事になるのであれば美味しく食べれるものをお腹一杯食べさせてやりたいと思いました。
食べるか食べないかはモウに任せます。
とても美味そうにガブガブ食べてくれました。
動画撮影日 2016年8月1日 20時04分
結局、これがモウの最後の食事になりました。
2016年8月2日(火曜日)
普段はマッサージ椅子に根が生えている相方の膝や腹の上で過ごし、下ろしても下ろしても登ってくるのがモウの日常スタイルでした。
ところが「モウおいで」と相方が呼んでもチラっと見るだけで登って行きません。
昨夜、美味しそうに食べていたシーチキンも素通りし、ヨタヨタしながら自分から浴室へ入っていきました。
シャンプーを嫌がり続けたモウは浴室が嫌いでしたから自分から進んで浴室に入ったことなど過去に1度もありませんでした。
猫は死期が近くなると人目につかない場所でひっそり息を引き取るという奇妙な話は知っていましたので覚悟を決めて接していこうと思うようになりました。
ただ飼い主としては、これがモウの死期ならばガオの時と同じようにいつも寝ていた布団で残り少ない時間を一緒に過ごしたいし、真夏にシャワーも浴びれないのはとても迷惑でしたから移動させたいところです。でも「お前が安心できる場所はそこなのか。ここはお前の家だ。好きなところで休め」と床にタオルやマットを敷いてモウの気持を最優先に尊重しました。
数時間毎に薄暗い浴室へ行きナデナデしてあげると、ウゥーン.ウゥーンと嬉しそうに言ってくれます。
2016年8月3日(水曜日)
飲まず喰わずのモウがヨタヨタしながらリビングに来ました。
ベランダに置いてある猫砂トイレに行こうとしているので抱えて連れて行くと少しだけオシッコしました。
浴室でもトイレできるようにしていたのに同じ場所にあったトイレへどうしても行きたかったのでしょう。
それじゃついでに体重計ってみようね。
3カ月前の誕生日まで3,150gもあったのに、2,050gにもなっていました。
そして、またヨタヨタしながら浴室へ戻って行きました。
2016年8月4日(木曜日)
モウは寝たきりになり声も出せなくなりました。
私は仕事どころじゃありません。
ガオの時と同じように45分毎にアラームをセットし1回につき15分間の手足のリハビリを開始しました。固く緊張している手足のリハビリをしてあげると徐々に柔らかくなります。
モウは肉球をクーパー.グーパーさせながらとっても嬉しそうです。
肉球で気持を伝えてくれるモウに私は「そうか...気持いいか」「これは天国のガオとおもいっきり走るための準備体操なんやけんね」と声を掛けながらリハビリを続けていました。
モウは何十回のうち自分で起き上がろうと懸命に力を出そうとしていました。でも、そんな力はどこにも残っていません。
これが最後の1回になるかも知れないと涙を堪えながら、私は「ごめんな。このリハビリで勘弁しろよ」とモウに謝ってばかりいました。
2016年8月5日(金曜日)
モウと出会って今日で23年と3カ月になりました。
05時30分
一昨日の晩から全く寝ずにモウを見守っていましたが、ふっと気がつくと気絶するかのように40分ほど寝ていました。
なんてことだ!
私は1年前、ガオとの別れのときモウもお前と同じように一緒に居て看取ってやるから安心しろよ...と堅く約束をしています。だから絶対に寝てはいけないんです。
06時40分
モウが激しい痙攣を起こしました。
寝ている相方を大声で呼びながら「モウわかるか。俺はここに居るぞ...」と最後の言葉を掛けていると、数十秒後には痙攣も治まり呼吸も正常に戻りました。
もうダメかと思ったやないか。このバカ。涙.......
ここから相方も一緒に見守ることになりました。
相方は頭をナデナデしながら「頑張らんでいいけんね。大丈夫。怖くないよ。一緒にいようね...」と言っていました。
お迎えにやってきたガオ
モウの痙攣から2時間後の08時40分頃、玄関から『グャァーォー』と猫の鳴き声が響き渡りました。
その声の大きさにもビックリして2秒後には玄関を見ましたが、そこに猫が居るはずもありません。(モウは息絶え絶えで目の前います)
たつ:いまの聞こえた?
相方:うん
たつ:いま、ガオの声やったろ
相方:うん。ガオやった
たつ:心配してやって来たんやろうね
相方:モウを迎えに来たと思うよ
たつ:そうか... ガオありがとうな!!
と玄関に向ってガオにお礼を言いました。
すると、私は何ともいえない不思議な眠気がやってきました。
フラフラになっている私を心配して相方は「何かあったら直ぐに起こすけん寝てよ」とは言ってくれますが、「そういう訳にはいかん。俺はガオとの約束を果さないかんとやけん」と根性を入れてモウを見守っていました。
10時30分頃
過去に経験したことのない異様な睡魔に耐えられず、異変があったら直ぐに起こしてと頼み60分のタイマーをセットして横になりました。
60分後にアラーム音で目を覚まし、タイマーを止めて起き上がろうとしたとき私の前に優しい表情をしたガオがいました。
あらまっガオちゃんどうしたと?
するとガオは私にこう言いました。
ガオの声が聞こえた訳ではありませんが、ガオが私に伝えたいことはハッキリわかりました。
起きなきゃいけないと思いながら、ガオの想いがとても心地よくフワフワして引き続き寝てしまいました。
モウは天国へ旅立ちました
化け猫のガオから『ウギャァー(そろそろ起きて)』と起こされました。
時計を見ると12時22分でした。
喉が渇いていた私は起きて直ぐに冷凍庫を開け、たまたまあったアイスクリーム(森永乳業のモウ)とスプーンを手にして浴室へ行きました。
浴室前で私はモウに「寝てしまってすまんな。生きとるか」と声を掛けると、私の顔を見たモウは手足をピクピクっとさせて喜びましたので「そうか、そうか」と頭をナデナデし私が両足の肉球をモミモミ、相方が両手の肉球をモミモミしてあげると、喉をゴロゴロ鳴らしながら大きな深呼吸をし、声にならない声で何かを言って気持良さそうに息を引き取りました。
12時23分でした。
私の顔を見てから、たった20秒弱でした。
泣いている相方が「あんたモウに感謝しいね。あんたがガオとの約束を果せるようモウは頑張っとったんよ」と言いました。
「・・うぅっ・・」
いじらしいモウの想いに私も涙が溢れ出て、おもわず名を叫びました。
モウーーーーー!!!
牛田モウ(雄猫)
2016年8月5日 午後12時23分 享年23歳3カ月
私が愛情込めて作った最後の首輪です。
親孝行のモウへお手紙
モウ。今ごろガオと天国でバタバタ走り回って忙しいとは思うが、気持の整理をしたいので手紙を書くよ。
今だから話すけど、お前ら2匹が俺の家族になったとき、ガオより一回り体の大きいお前は大人しいガオをイジメてばかり。そして俺は元から猫嫌い。またペット禁止のマンションなのにお前だけがギャーギャー五月蝿かったら、(相方は兄弟分けることに猛反対してたけど)最初の半年ぐらはお前だけ里子に出そうかと思ったことが何度かあるとよ。
でも、俺の作ったダンボール小屋や様々なアトラクションでヘトヘトになるまで2匹で追いかけ回して遊んでくれるし、俺も毎日の猫工作が楽しくてな。お前たちは絶対に手放さんぞってなったとよ。今そのことを知っていまショックだろうけど23年前の話だから里子未遂は水に流せよ。
また、お前に謝りたいこととして、相方と1週間ほど旅行していた時の異常気象がトラウマで、それから大雨や雷鳴が怖くてなってしまったよな。あの時は本当にごめんな。
でもお前だって小さい頃マグロの刺身を口移しで与えようとしたら俺の下唇にガブリと噛みつき離さないもんだから、お前の噛み跡が未だに俺の唇に残っとるんぞ。それ以降、お前も慎重に食べるようになったからしっかり覚えているよな。お互い様だ。
いまお前ニャハハって笑っているだろ。俺も笑ってるよ。いい想い出だよな。
それから、兄弟を比べちゃいかんけど、お前はガオよりも何倍も頭がよくて表情豊かだったから、これまでに撮った写真を整理していたら、お前が7でガオが3。達の記録館なんて8対2の割合だ。このコンテンツもお前のアイコンだし固定の電話番号だってお前の名前の語呂合わせをわざわざ買い取ったんだぞ。
(ガオには内緒にしとけよ)
いま改めて感じる。俺はお前のことが大好きだったよ。
それと俺が来て20秒足らずで逝ったことについてだけど、お前は「ご主人様が起きてくるまで生きていないとガオとの約束を果せなかったと悔やむから、それまでは僕は絶対に死んではいけない」って頑張って息をし続けてくれたんだな...
お前らしいな。
モウ、とても偉いぞ!
お互い心置きなく”さよなら”できたね。
お前の『最後の最後の親孝行』を俺も相方も生涯忘れないよ。
ありがとうモウ。
天国のお前たちへお手紙
●虎田ガオへ
どうしようもない悲しみを怒りに変えて”くっそぉー”と大声を出すこともしなかったし、感情を誤摩化したりもしなかった。これはお前から教えてもらったことだ。
また、あの不思議な眠気は見るに見かねてお前がやったな。ギリギリで起こしてくれてるなんてお前ってすごいな。ビックリしたぞ!
それから、お前が来てくれたお陰で安心してモウを看取ってやることができた。それがどれだけ嬉しかったことか。ガオありがとうな。
お兄ちゃんを頼むぞ!
肉食だったお前の命日は2月9日(お肉の日)だから忘れるなよ。
●牛田モウへ
探し続けてきたガオにやっと会えてよかったな。
天国の暮らしはどうだ? ダンボール箱はちゃんとあるか?
騒がしいって怒られていないか?
ご主人様からイジられなくなって寂しくはないか?
ダンボール箱が大好きだったお前は8月5日(箱の日)が命日だぞ。
こっちはお前達がいつでも入れるようにガラスを切って開けた猫穴は塞がずこのままにしておくから、命日じゃなくても騒ぎに入って来いよ。
そう言わなくったって、8月22日の深夜に相方の横で騒いでいたか。
ウチは化け猫の住む家か!(笑)
まぁしかし、いまの住居(大道路沿いの騒がしいマンション)に移転した理由の半分はお前達だから、化け猫の住む家でも全く構わんぞ。遠慮せず好きなだけ騒ぎに帰ってこい。
それから最後に小言というか、1つ泣き言を言ってもいいか。
壁や柱や家具などで爪を研いではいけないという厳しいルールがあっただろ。
だから部屋中のどこを探してもお前らが付けたキズ跡は爪研ぎ棒1本しか残っていないんだ。
そのせいで「こんなに爪跡を入れやがって、とんでもない猫どもだった」とか「ウチにも猫が居たんだなー」って見て懐かしむ部分がなくて、お前らちぃーっとは壁や柱にキズ跡を残してから逝かんか!! このバカ!! って、とても寂しいんだよ。
お前達が死んでからまで自分勝手なことばかり言うご主人様だけど、いつも頭の中に浮かぶことは、楽しいことも嫌なことも、美味しいメシも不味いメシも全て共有しながら、一緒によく遊んだなーって楽しい想い出ばかり...
俺の人生の半分にお前達がいてくれて大・大・大満足だったよ。
お前達も俺の家族でよかっただろ?(こう言ってくれると思う)
そしたらお前達へ「最後の命令」を伝えておく。
俺の最期の時は兄弟揃って迎えに来い。
わかったか。
必ず来るんだぞ! 待ってるからな。
よし!! いい子だ。
それじゃ、ここでお前達とはお別れして前へ進むからね。
23年前、お前達に出会えて本当によかった。
とてもとても楽しかったよ。
ありがとう モウ
ありがとう ガオ
またいつの日か会おうね。
2016年9月19日 ご主人様(48歳)たつ
時は川 きのうは岸辺
人はみなゴンドラに乗り
いつか離れて
想い出に手をふるの
2016年9月19日 記録